スケッチブログ

東日本大震災の復興の様子を見てきました。

それはログハウス協会からの技術講習会の案内がFAXで来た時でした。
以前、協会から頂いた3.11で被害を受け、そこから復旧されたログの写真と、
3.11が近づいていた事も重複し「復興の状況を実際に見たい」と言う衝動に押されました。
しかしその時点では、東京に行く「ついで」と言う感情もありました。
新聞やTVの情報も右から左で、ほとんど知識も無いままで、
「もしかすると規制があるのでは?」とか「自由に行動できないのでは?」と言う
疑問から、福島県の避難者支援課にメールで問い合わせたところ、細かな情報を
送って頂きました。
どうせならログハウスの仮設住宅を見てみたいと思い、担当の方に電話連絡しました。
福島県内に6箇所ログハウスの仮設住宅があることが判り、そうなると一番
原発に近い「南相馬市」の仮設住宅を見たいと思い、南相馬の仮設住宅の自治会長さんを紹介頂きました。
そして直接お電話したところ快く承諾頂きました。
ログ協の講習会が終わり、仙台に向かい翌早朝まだ復旧できていない常磐線の
電車と代行バスを利用して原ノ町という駅に着きました。そこでまず見たのは「除染」という文字。
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見慣れない文字に違和感を感じながら。レンタカーを借りて南相馬の仮設住宅を訪問しました。
国道6号線を北上しましたが、南へ向かう道はダンプばかりで異様な雰囲気でした。
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まず最初に自治会長のM様(皆様お名前も写真も承諾頂きました)にお会いして集会場に案内され、
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ご挨拶もそこそこで、そこに集っていた女性の方(お2人)の仮設住宅を見学させて頂きました。
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既に5年が経ち、外部には所々割れの補修跡がありました。
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どちらの家も4畳半の部屋が二つに小さなユニットバスとトイレ、そして1,500巾位の
キッチンがありました。
そこで今までに聞いていた疑問を聞いてみました。
「ログハウスは快適なのか?」この質問には皆さん広さは狭いが、温かく満足していらっしゃいましたが、
「窓の結露」「窓周りの隙間風」「横風の雨の時の漏水」「外部テラスや階段の腐れ」など
不満や問題もあり、説明不足とアフターメンテナンスの必要性を感じました。
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次に「他のプレハブを退去してログの仮設に移動したという要望がある」と聞いた事があり
実際にそのような要望があるのか聞いたところ、そのような事例は無いとの事でした。
そして自治会長さんは地元の芳賀沼さん(前ログ会長)が大変頑張ってくださったとも言われていました。
その後、集会場で地震の時、津波の時、そして今の心境などを伺いました。
集会場の前に建つ、建設当時に立てられたモニュメントが色あせ、時間の経過を物語っているようにも感じました。
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こちらに来られている方は、みなさん小高地区の方で、中には津波で家を失った方もいて、
原発から20k圏内で強制的に仮設住宅へ移動された方々です。
つらい記憶を思い出して頂く中で、終始皆さん笑顔で話される中、私が
「みなさん優しいですね」と言った言葉にも、原発を許容した思いからか、
政府や東電への怒りと言える言葉はありませんでした。
それは実際に経験した者でなければ判らない心の奥底にある複雑な思いとも思えました。
見ず知らずの私に手造りのおもてなしまでして頂き、私も複雑な感情を言葉にできませんでした。
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みなさん本当に貴重な時間をご提供頂き、深く感謝いたします。
「ありがとうございました」そして「頑張りましょう」
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その後、時間の許す限りレンタカーで移動しました。
前日の協会で紹介された「津波被害から復旧されたログ」も奇跡的に発見しました。
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残念ながらそこに人影はありませんでした。この集落を襲った海がすぐ近い事は
護岸工事をしているダンプと重機の音で想像できました。しかし辺りに家は無く
そこに家がある事が不思議な風景でした。
それでも改めて「ログハウスの強さ」をこの目で認識しました。
不思議と悲しいという感情はありませんでした。むしろ呆然としたと言った方が近いと思います。
ここにいつの日か家族が戻り、辺りに家が建つのはいつの日か判りません。でも必ずそうなって欲しいと強く思いました。
その後、県道と思われる道を南下していくと、「奇跡の一本松」という小さな看板を見つけ
気になって看板の指示に従って車を走らせて行くと、あきらかにそれと判る一本の木が遠くに見えました。
辺りには何もありません。所々で除染をしている方々の複数の人影、近くを通りすぎると簡単なビニール系の作業服
で特に防塵マスクなど付ける事なく作業されたいるのも不思議でした。
私がそれの近くに付いた時、一人の女性がそれをじっと見上げていました。
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防風林として以前は生い茂っていた松並木の中で、この一本だけ奇跡的に残ったそうです。
よく見ると新芽も出ていました。
ここでも不思議と悲しい感情はありませんでした。
人生色々な事がある。理不尽な事もいっぱいある。でも時は過ぎ前に進むしか無い。
それはあきらめでは無い。歯を食いしばってでも前に進まなければいけない。
私はそこで「生きている」実感と「生かされている」実感を体感できました。
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その後、南相馬、福島市と移動する中でも町並みの中で普通にこの看板が立っているのに気づきました。
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その前をダンプが通り、乗用車が通り、子供や老人もその前を通り過ぎていく。
普通の「日常の風景」です。
不思議なもので慣れてくると違和感を感じなくなる。
これが「風化」なのでしょうか?
二日間の滞在で個人的に色んな感情が湧き出てきましたが、今まだ整理できていません。
この経験が何かに役立てればいい。今はそんな心境です。
整理できたらまた書きたいと思います。

Sketch 図子 浩司





 
 
 
 
 
2016年4月03日 | カテゴリー 木洩れ日のささやき, お知らせ